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俺のイタリアン創業者坂本孝氏のここがすごい!失敗から学ぶビジネス

sakamototakashi ここすご経営者

ビジネスの成功には「失敗」はつきものですが、「失敗の威力」を真髄まで感じられる経営人生を送った俺のイタリアン・俺のフレンチ(現:俺の株式会社)創業者の坂本孝氏についてご紹介します。

2022年に81年の人生を幕を閉じた坂本氏は、長い人生で俺のイタリアンなど様々な「俺の○○」シリーズを展開した他、新古本販売業ブックオフの成功をさせました。

成功までの道のりでは、数多くのビジネスの失敗を経験されています。坂本氏の失敗に屈することなく何度でも這い上がる姿や、失敗を活かしてヒントを得る姿は、きっとあなたの人生でも役立つことでしょう。

これからビジネスを始めたい方や、成功に向けて学びたい方は、坂本氏のすごいエピソードをぜひご覧ください。

坂本孝氏の経歴

では、坂本孝氏の経歴をご紹介します。

1959年 山梨県立甲府第一高等学校卒業

1963年 慶應義塾大学法学部卒業。大学4年生の時に広告会社の内定をもらったものの入社はせずに父が経営をする精麦会社「坂本精麦合名会社」に入社。その後、父の会社から出資を受けて飼育の会社を立ち上げるも経営に失敗し3年後に閉店。

1969年 オーディオ機器販売会社を起業するも事業に失敗し廃業

1972年 中古ピアノ販売業、不動産業を展開するも事業に苦戦

1990年 新古本販売BOOKOFF直営1号店を開設

1991年 株式会社ザ・アール(ブックオフコーポレーション)設立、代表取締役CEO就任

2005年 ブックオフコーポレーション東京証券取引所1部上場させる

2006年 ハーバードビジネススクールのベンチャーオブザイヤー賞を獲得。ブックオフコーポレーション会長に就任

2007年 不正なリベートの受け取りや決算書改ざんなどの問題で会長職を辞任

2012年 俺のイタリアン・俺のフレンチ株式会社(現:俺の株式会社)を設立l、社長就任

2015年 レストラン30店舗開店突破

2017年 初のフランチャイズ展を出展

ざっと経歴を見るだけでも、数々の事業に挑戦し、失敗を繰り返していることが伺えます。

では、坂本氏がどのように事業に取り組み、失敗を重ね、成功までの軌跡を作ったのかをお伝えしていきます。

ブックオフ創業までビジネス失敗の連続だった

坂本氏と言えば、ブックオフを成功させた日本の実業家とイメージがあるかと思いますが、それまでにいくつもの事業に挑戦し、ことごとく失敗や鳴かず飛ばずの結果を出していることはご存知でしょうか。

大学を卒業後、内定を受けていた企業には就職せずに、父親が経営する精麦会社に就職をしました。その後、父の会社からの出資で飼料を取り扱う企業を設立し、取締役に就任するも退任。次にオーディオショップ「ユアーズ」の経営を始めるも経営に失敗し開始から3年後に廃業。その後、中古ピアノ販売業を展開するも結果は出なかったようです。

根っからの起業家魂があった坂本氏は、その他の事業にも手を出すも上手く軌道に乗らない日々が続いたそうで、「ブックオフ」と「俺のイタリアン」の2つのビジネス成功までに、10回の事業失敗を繰り返しているそうです。

せーにょ
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ここすご!ポイント

何度もビジネスに失敗をしても、また挑戦し続けることで失敗が糧となり成功につながった坂本氏の「やり抜く力」がすごかった!

ビジネス成功は“失敗した”中古ピアノ販売業が原点

1991年に、中古本販売業であるブックオフコーポレーションを立ち上げ、全国に展開させるほどの成功を収めましたが、「中古品を買い取り販売する」という方法を学んだのはたくさんの事業に手を出した中の中古ピアノの買い取り業からヒントを得たのです。

当時の古本販売は、希少価値のある古書を高くで買い取りしてもらうスタイルでしたが、流行りの漫画やベストセラーの単行本などの新古本を買い取り販売することにより、多くの人が立ち寄り、不要になった本を販売でき、まだ読んでいない人にとっては安価で購入できる需要と供給を満たすビジネスを確立しました。

ブックオフを開店させる前、坂本氏は古本市に足を運び古書の買い入れの様子を見ていたそうですが、何を基準にどのような根拠で値付けをしているのかわからなかったと言っています。当時の古本買取りビジネスの型であった古本組合には入らず、「きれいな本か、そうでないかを基準に値段を決める」という自分たちのやり方で新古本買取販売ビジネスを始めました。

買い取り価格は、汚れ・色褪せ・傷など本の状態で図る方法と、出版年月、本の種類などを基準に、あらかじめ決められているシンプルな方法で行い、全国一律で統一されています。

せーにょ
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ここすご!ポイント

今までの古本市の常識に疑問を持独自のやり方をビジネスを進める信念がすごい!

ブックオフ成功の鍵は「売り手がいる場所」を探したこと

ブックオフ1号店は、神奈川県相模原市にてオープンしたのですが、なぜ出身地でもない場所にオープンさせたのでしょうか。

買取販売のリユース業を始めるために、まずは売り出す商品を用意しなければなりません。本のリユース業であれば大量の本を売ってくれる売り手が必要です。

坂本氏は、本を好む団塊ジュニア世代のホワイトカラーの家族が多く住む相模原市に注目しました。家族で暮らしていると部屋のスペースが人数の分だけ狭くなり、本棚や本を置くスペースに限界を感じて、限界を超えた時にブックオフを利用してもらえるのではないかと思い、相模原のエリアに目をつけたのです。

「読み終わった本を、お売りください」というキャッチコピーを見た近隣住民は、どんどん利用することとなり、予想以上に多くの反響がありました。そして坂本氏の狙い通り、要らなくなった本は売り、読んでみたかった本は安価で購入するという「需要と供給」が成り立ちました。

当時、古本市では値段がつかなかった漫画や単行本も買い取るスタイルは、多くの人を集めることに成功させました。

せーにょ
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ここすご!ポイント

近隣エリアの需要をリサーチし、悩み解決につながるビジネスモデルの展開をし、見事、需要と供給を成立させたところがすごい!

「時代の寵児」からの転落

ブックオフコーポレーション設立から14年後には、東京証券取引所1部に上場させることに成功。さらには、翌年にはハーバードビジネススクールのベンチャーオブザイヤー賞を獲得するなど、華々しい成果や結果を出し、脚光を浴びていた坂本氏でしたが、取引先から不正なリベートを受け取っていた事実が発覚し、週刊文春で告発されました。さらには、決算書の改ざんや、架空の売り上げを計上していたという告発もあり、一気に信用を失うこととなりました。

取引先から不正なリベートを受け取っていたことは事実でしたが、違法性は認めらはしませんでした。しかしながら、坂本氏は受け取った手数料を全額会社に返還し、当時会長を務めていましたが辞任することとなりました。

地獄を見た坂本氏に稲盛和夫が放った言葉

坂本氏は、稲盛和夫氏の経営塾「盛和塾」の代表となる経営者でした。また、坂本氏は稲盛氏を恩師としていました。

盛和塾では「利他の精神」を大切にすることを教えていましたが、それに反する告発を見て、稲盛氏は坂本氏を呼び出し、怒りを露わにしました。坂本氏は、その時のことを思うと背筋が凍るほどの恐怖だったと言います。

会長職を辞任した坂本氏を裏切る人間が数名いたことに、復讐をしてやりたい気持ちに苛まれていましたが、稲盛氏はその憎悪に気づいており、核心をつく言葉を突きつけました。

「人を恨むことは過去を引きずることなんだよ、それでは青空なんて、いつまでたっても見えてこないぞ」

「くじけちゃいけない。また事業を始めてみろ。できることは何でも協力する」

世間からは批判され、一緒に事業をやってきた仲間からも見放されて真っ暗な闇の中にいた坂本氏は、稲盛氏のこの言葉で心が晴れることとなりました。改心した坂本氏が次に目指すものは、飲食ビジネスの改革でした。そこから「俺のフレンチ」「俺のイタリアン」などの「俺の〇〇」シリーズが誕生するのです。

ビジネス再起から「俺のイタリアン」誕生までの軌跡

俺の株式会社を創立した時、坂本氏は72歳でした。ミシュランで星のついた高級料理を立ちスタイル安くで食べることができる「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」で大衆の心を掴みました。

現在では「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」の他、「俺のやきとり」「俺の焼き肉」「俺の割烹」「おでん俺のだし」など、全国に36店運営、海外には4店舗を構えるほど、またしてもビジネスの成功を収めました。

当時、飲食業や料理人と聞くと、昼夜逆転で労働時間も長いことで「憧れの職業」とは程遠いポジションにありましたが、坂本氏はビジネスを通じて「料理人の社会的地位を高めること」を目的としており、上場益は従業員に還元したいと語っていました。

また、俺の株式会社では「仲間のために汗をかく」という共通理念があり、社員には行動指針となる「俺のフィロソフィ」という企業理念が詰まった冊子を配布していました。そこには下記の計画達成のための4か条がありました。

●計画達成のための4か条

  1. 一つの部門のメンバーが全員自分の部門の目標を知っていること
  2. 部門の数字がメンバー全員に分担されていて、全員達成意欲を持っていること
  3. メンバーは自分の数字に責任を持っていること、リーダーは数字のチェックを日常的に行っていること
  4. 目標のために常にミーティングにより衆知を集めていること
各店舗、シェフや支配人によってそれぞれにメニューや値段、サービスのあり方を決めており、従業員は誰でも店の損益を日報で見ることができるようにしています。そして、毎日の日報で1日の来店客を客席数で割った回転率や課題など、各店舗の成果を見える化させました。
これにより、他店との競争心や課題解決に向き合う機会を作ることができ、「料理人の社会的地位を高めること」ができる仕組みで従業員に成果を還元する方針を貫きました。
このような理念や信条があったため、飲食業界のセオリーである原価率30パーセントを80パーセントに引き上げて、高級料理・一流料理を提供しつつ、高級店ではあり得ない回転率の良さを実現しました。坂本氏は、俺の株式会社における強みをこの社員の日報だと言います。
せーにょ
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ここすご!ポイント

これまでの料理人の在り方に疑問を持ち、料理人の社会的地位を高めるための仕組み化をしたことがすごい!

縁もゆかりもない飲食業を始めた理由

稲盛氏の言葉を受けて、新たに始めた事業が、リユース販売業とは全く関係のない飲食業を始めた理由とは何だったのでしょうか。

ブックオフの会長職を辞任したあと、ブックオフの株も売却したのでハワイでゴルフ・お酒三昧の余生を楽しく生きようと考えていた坂本氏ですが、縁もゆかりもない飲食業を始めることとなりました。

その理由には、やはり経営の師匠である稲盛氏の存在があったからだと言います。ブックオフのリベート問題など、ことあるごとに稲盛氏からの呼び出しを受けていた坂本氏。このままハワイで隠居生活でもしようものなら稲盛氏の逆鱗に触れるのではないか、と恐れているところ、たまたま頼まれた焼き鳥屋の事業で再起することとなりました。

そこで、坂本氏は飲食業界について知ることとなり、特に飲食業界で働く人達の労働条件に着目しました。料理人を目指し専門学校を卒業しても、料理人として従事し続ける割合は1割程度しかいない現状にありました。その理由として、料理人の労働時間の長さ・作業環境の悪さ・給料の低さが関係していることを知り、坂本氏はショックを受け、「どうしたら料理人が幸せになれるのだろうか」と考えることとなりました。

俺のシリーズ成功は「料理人を幸せにする」理念から

坂本氏は、料理への知見もなく、飲食業界について知っていることもわずかであったため、料理人が幸せになるためにどうしたら良いか、多くの飲食業界の人に質問を投げまくりました。その結果、2008年のリーマンショック以降、料理人たちが成長できる場所であるミシュランの星のつくレストランや、老舗料亭、高級ホテルが増えず、料理人としてのキャリア形成が難しくなっているということが分かりました。

このことから、料理人を幸せにするためには、まず場を作ってあげるべきだと思い立ちました。「お客様を幸せにする」という理念が通常の飲食店の在り方でしたが、「料理人を幸せにする」ことを起点とするモデルで、ビジネスを始めることで何かが生まれるのではないかと考えたのでした。

まずはいい料理人に集まってもらうために、リクルート担当には「優秀で意欲のある料理人には、原価率を気にせず作りたい料理を作ってもらう」「パリやミラノ、ロンドン、ニューヨークなど海外進出も検討している」という内容で求人を出してもらったそうです。この時本当は、海外進出までの展開は考えていなかったようですが、いい料理人に集まってもらいたい故の出まかせだったようです。

結果として腕のいい料理人からの応募が多数あり、料理や飲食業界について知見やノウハウも分からない坂本氏は、一流の料理人一人ひとりに店を任せ、自由に経営をやってもらうようにしたのでした。

美味しい料理を多くの人に感じてもらいたいという想いからか、「俺の」1号店である俺のイタリアン新宿店では、フォアグラやトリュフなどの高級食材を使いながらも1皿1300円以下で提供し、原価率は72%にもなり利幅の薄いメニューを多く出しました。

売上目標金額や、原価を抑えてメニューを考えろと言われてきた料理人たちでしたが、坂本氏は利幅の少ないメニューの提案にも首を縦に振り、徹底的に料理人に旗振りを任せるスタイルは崩さなかったそうです。支配人やシェフたちは他店の損益を日報で見ることができるため、売上目標金額や目標達成をするための戦略も自分たちで立てることができる。この仕組みが料理人たちのやりがいとなり、これまでの「やらされ仕事」ではない成長できる場となりました。

「料理人を幸せにする」ビジネスモデルを仕組み化することで、「食べたかった高級料理に手を出せる感動や喜び」が繁栄し、結果的に顧客満足度に繋がることとなりました。

経営哲学「仕組みで勝って、人で圧勝する」

これまでの飲食業界で常識に疑問を感じ、そこに誰も思いつかないような革新的な仕組みを作って、実際のビジネスを動かしていくのは「人」であり、従業員のモチベーションを上げることに注力をかけた坂本氏の「仕組みで買って、人で圧勝する」経営方法に驚かされたのではないでしょうか。

稲盛氏の、自分の利益ばかり追い求めるのではなく、常に相手の利益を考える「利他の精神」をヒントに、数々の失敗や苦難からも這い上がり、挑戦し続ける姿は、「これから経営を始めたい」「ビジネスを学びたい」と考える人にとって有益な情報となることでしょう。

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