大企業で勤めて、社会のしがらみや闇の事実を知りながらもキャリア形成をして出世する人生を送った場合、大きな富と社会的な権威を得られるでしょう。
しかしながら、本当にやりたかったことや、ゆったりとした時間の使い方をしたいと考える人からすれば、望まない大金を稼ぐことができても願い下げな人生です。この両方を得るための人生を送るためのたった一つの方法「海外投資」について小説や書籍を出版し、多くの人に伝える橘玲氏。
橘玲氏自身も海外投資家として活動する前は、お金に悩まされることも多くあったそうです。
では、橘玲氏はどのような人生を送り、海外投資家として活動し始め、出版物で投資を楽しむことを広める活動を続けるのかーーー人生100年時代に生きる私たちが、知って損がない投資術と共に解説します。
橘玲氏の経歴
まずは橘玲氏の経歴を紹介します。
- 早稲田大学第一文学部卒業。ロシア文学科を卒業。
- 卒業後、零細出版社に入社するも1年で退社。友人と編集プロダクション会社を立ち上げティーンズ誌を創刊するも、過激な内容が問題視され、創刊第3号で休刊となる。
- 宝島社にフリーランスとして時短勤務で所属。「宝島30」編集長としてオウム真理教を精力的に取材する。
- 海外投資をするためにオフショア銀行の口座を開設。
- 「ゴミ投資家のためのビッグバン入門」を執筆
- 海外投資を楽しむ会創業メンバーの一人として、海外投資の方法をマニュアル化。
- 小説「マネーロンダリング」出版
- 「ゴミ投資家のための人生設計入門」の改訂版を橘玲名義で「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」を出版。作家として独立。
- 「永遠の旅行者」「タックスヘイブン」など数々の作品を出版
海外投資家として自由を確立するまでの過去
大企業で就職すること自体、考えられないと感じていた橘玲氏は、早稲田大学卒業後、底辺出版社に入社し、1年も待たずして退職しました。
その後は、出版社で一緒に働いた営業マンと友人を誘い、編集プロダクションを立ち上げました。
企業主婦の友社「GALS LIFE」の編集部に企画書を持ち寄り、「一緒にやろう」と言ってもらえたのですが、別の出版社の専務に呼び出され、『「GALS LIFE」の二番煎じでいいから1カ月で創刊しろ』と言われ、自由な時間はほとんどなく、多忙な日々を過ごしたそうです。
結婚して子供が生まれたばかりの頃でしたが、自宅に帰ることができず、制作費も安く給料は月10万、年収120万ほどでした。同じ頃、経営者インタビューの仕事も別で受けており、本業の3倍の収入を貰えていたため、なんとか食い繋ぐことができたのです。
また、「キャロットギャルズ」という少女向け雑誌を立ち上げたのですが、1984年2月、衆院予算委員会で性表現などの内容の過激さから、槍玉に上げられました。当時、同性愛者同士のやり方や体位、愛撫の方法など、あらゆる性的な情報をイラスト付きで掲載しており、そこに目をつけられ、3巻という短さで廃刊となってしまいました。これを機に、編集プロダクションは解散せざるを得ない状況となり、廃業しました。
ここすご!ポイント
廃業となる結果となりましたが、家族を養うための収入源を確保しながら本業に取り組んだ若き時代の経験がすごい!
宝島社では「フリーランス」でオウム真理教
立ち上げたビジネスを廃業する結果となった橘玲氏ですが、地獄のような多忙な日々からの解放され、心置きなく転向することとなりました。
次に始めた仕事が、宝島社(当時JICC出版局)で社員という立場ではなく、当時は珍しかった「フリーランス」で入社しています。橘玲氏が25歳の時で、同世代の勢いのある若手と一緒に働くこととなりました。JICCの核となる事業である地方自治体相手の出版事業が、将来性がないとされ全面撤退を余儀なくされました。その為、撤退となった部門の社員達は橘玲氏が所属する事業に移り、多くの社員たちを教えるうちに管理職に成り上がっていました。
しかしながら、橘玲氏は正社員にはならず、「フリーランス」として活動を続けました。というのも、バブル期で「別冊宝島」という雑誌は7000万部の売り上げるほどの勢いがあり、社員になるよりもフリーランスで活動する方が稼げていました。
その頃、週刊文春が昭和天皇の新御所建設のために、吹上御苑の自然林が伐採されたという内容の記事が週刊文春で記事にされ、宝島社が「皇室の危機」のタイトルで、両陛下の私生活を「快楽主義的」と批判した記事を出しました。このことをきっかけに、美智子妃がストレス性の失語症となり、怒った右翼が宝島社に銃撃を打ち込む事件となりました。
この後、橘玲氏は当時の編集長である町山智浩氏から「宝島30」の編集長を引き継ぐことになり、大事件となったオウム真理教の麻原彰晃が引き起こした「地下鉄サリン事件」を取り上げました。
精力的に取材ができたのには理由がありました。オウム真理教の幹部である信者の多くが橘玲氏と同年代で、同じ大学の出身者でした。ポストモダン哲学を学んでいた橘玲氏の隣には、スピリチュアルに向かう学生らも多かったようで、そんな彼らと15年ぶりに再開したら「テロリスト」になっていた事実を知り、彼らを決して批判することなく、中立の立場で取材をしていた結果、当時のインタビュワーの中で唯一、教団や元信者にアクセスすることができたのでした。
そして、オウム事件を取り上げた記事を掲載した号は3日で完売するほどの売り上げとなりました。その後も順調に出版社の編集長として、売上を作ることができましたが、Windows95の出現により、出版業界の仕事はインターネットに奪われ、転換期となりました。
ここすご!ポイント
当時は珍しいフリーランスという働き方でありながら、キャリアを積み、当時話題のアンダーグラウンドな世界にも介入できたコミュニティー能力がすごい!
海外投資のためオフショア銀行の口座開設
宝島社を退社した橘玲氏は、当時、「日本人が自由に海外の金融機関を利用する時代になる」と言われていたのにも関わらず、そのやり方を誰も教えてくれなかったことを疑問に感じ、友人たちと「海外投資を楽しむ会」を立ち上げ、自ら海外投資のためオフショア銀行に口座を開設しました。
最初にイギリスの自治領であるチャネル諸島のジャージー島にある「ケイターアレン」というオフショアバンクに口座を開きました。
マネーロンダリング規制などない時代だったため、パスポートのコピーと口座開設申込書を郵送したら一週間ほどで口座番号とVISAのゴールドカードが送られる仕組みでした。当時、大富豪でないと縁がないと考えられていた「タックスヘイヴンの銀行」を利用を100万円程度でも預金できると知った橘玲氏は、海外投資の事実と体験を「ゴミ投資家のためのビッグバン入門」という書籍にし日本に広めました。
この事実を知った日本人からの口座開設依頼が殺到し、現在は「アビーインターナショナル」と名称を変えた銀行の日本人利用者は、3000人を超えました。
驚いた銀行の幹部から橘玲氏の元に連絡がきて、香港支店の支店長から中環(セントラル)にあるチャイナクラブに招待され、北京ダックやガルーパの姿蒸しなど高級中華を振る舞ってもらったそうです。香港で有名になった橘玲氏は、米系金融機関のプライベートバンカーたちとの交流もでき、日本びいきをしていたトップバンカーの女性から、顧客でもない橘玲氏を高級旅館やの宿泊や、銀座での買い物、大富豪たちのパーティーへの招待をされるなど、プライベートバンクを持っていない日本人ができない経験を体験できました。
ただ、この出版に喜びの声を上げる人間ばかりでなく、当時、タックスヘイヴンの口座開設方法を顧客から100万円以上の手数料をとって案内していた人間もいたため、1400円の書籍で自分たちの収入源であるノウハウを最も簡単に広められた彼らからは怒鳴り込みもありました。また、タッグを組んで富裕層の囲い込みをし、ヘッジファンドや保険商品を売るビジネスに誘う声もあったようですが、面白さを感じず丁重にお断りをしたとのことです。
こうして、日本人の海外投資が当たり前となり、また橘玲氏の第二の人生である「海外投資家」としての道のりへと繋がっていくのです。
ここすご!ポイント
自ら行動し海外投資を学んだ結果、富裕層しか参加できないものではなく少ない預金でも海外投資することができるという事実を多くの人に広めることに成功させたこと!
「マネーロンダリング」で作家橘玲としてデビュー
さまざまな投資家たちと交流を深めるの中、実際に国際金融の中で使われていた「税金を払わずに株式などの金融商品に投資」する方法や、「巨額の相続税・贈与税を魔法のように消してしまう」方法を知ることとなりました。
この方法を本にしたいが、そのまま書くと脱税マニュアルの類になってしまい批判の的となってしまうと考えた橘玲氏は、あるアイディアを思いつきました。
ただ殺人マニュアルを書籍化するのではなく、殺人方法を詳しく描いた「殺人ミステリー小説」は世間から賞賛されていることから、グレーゾーンの脱税方法を小説化してしまえば、合法的に認知させることができると考えました。
そこで生まれたのが「マネーロンダリング」という小説で、香港在住のコンサルタントの男を主人公に突如現れた美女が「五億円を日本から海外に送金し、損金として処理してほしい」という要求から展開する物語と共に、投資家としてグレーゾーンの脱税方法を世に広めることに成功しました。
この「マネーロンダリング」が好評だったため、「ゴミ投資家のためのビッグバン入門」の改訂版として「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」を出版するなどして『橘玲』としての作家デビューを果たしました。
ここすご!ポイント
合法的に情報を流すことに成功し、作家としてのデビューを果たすまでの結果を出し、日本人がなかなか知ることができない情報を広めたこと
投資人生で最適解だと言える「インデックス投資」
起業をしたときは、自由な時間がなく家族もろくに養えないような収入でだった経験や、会社員の頃から、サラリーマンとして一生を終えることに疑問を感じていた橘玲氏は、会社を辞めても家族や子供を養える方法として投資や資産運用について学んでいました。オフショア銀行に口座を開いたあとは、あらゆる銘柄を買い、色々と興味が広がった結果、最後はシカゴの先物・オプション取引までやってみたそうです。
株式投資の本を読み漁りましたが、著者によっての見解も違い、何が正しく何が間違いなのか分からずにいたそうですが、「証券投資の思想革命 ウォール街を変えたノーベル賞経済学者たち」という本が、ファイナンス理論をわかりやすく説明されていて、海外投資についての知識が断片的に身についたのだそうです。
内容としては、投資家として合理的な選択は「インデックスファンドを買うことしかない」と断言して説明されています。インデックスファンドとは、市場全体の動きを表す代表的な指数に連動した成果を目指す投資信託のことで、毎月決まった金額を投資し、手間や時間がかからない一方で面白さはありません。
当時は特に「この企業がこれから伸びるぞ」「このサービスが良い」と思い、投資を行う方がもちろんギャンブル的な要素もあり、儲かった時の快感が面白く、個別株を買う人が圧倒的に多かったのです。
こういった投資への理解と、実体験として10年間投資を続けた結果、「インデックス投資でいいや」という結論に至ったのでした。
ここすご!ポイント
数々の資産運用の学習と、あらゆる投資を経験した結果、インデックス投資が良いという答えを導くまでの探究心がすごい!
幸福な人生を送るために必要な3つの資本
インデックス投資に関する著書や、海外投資方法を広める小説を始めとし、幸福に生きるための資本の概念を記した著書など、多くの出版物を出し大ヒットと叩き出している橘玲氏ですが、「シンプルで合理的な人生設計」という著書では、幸福な人生を送るために必要な資本は「金融資本(資産)」「人的資本」「社会資本」の3つであり、効率的に幸福になるためにはまず「金融資本」を作ることが重要で「お金持ちになること」が近道だということが書かれています。
わかりやすく言うと、資産、仕事、人間関係の3つの資本を人生の後半には充実させておくことで、幸福度は上がるとのですが、まずは資産を作ることで他の2軸も自ずとついてくるということを示しています。
しかしながら20代の若いうちは、「人的資本」が重要視され、大金を持っていても友達や家族に恵まれないと幸福につながらないという意見も多くあります。
実際に橘玲氏も、金融の重要さに気づいたのは35歳の時からだと言います。また30代から金融について知り、投資を始めることで挽回はできるのだと言います。その為、ルートは違えどゴールが一緒であれば問題ないということも言われており、とにかく資産を作ることを放棄すると幸福にはつながらないことが分かります。
日本社会で、キャリア形成や人間関係を充実させることに成功しても、最終的に資産がなければ、自由な時間が奪われ、仕事で忙しい日々を過ごすだけの時間となり不幸になってしまうことや、友人たちと旅行に行って同じように楽しむことができず人も離れていく人生となる可能性があります。
こうしたことから資本運用の重要性や、投資知識が日本人に必要だと橘玲氏は、出版活動を通じて教えてくれています。
ここすご!ポイント
「投資で資産形成する方法」ではなく、人生の幸福度をあげる手段として投資の重要性を教えてくれて、誰もが安価で分かりやすい説明で海外投資を学ぶことができるように、出版をされていること
個人が自由で幸福な人生を送るために
自由な時間を持ち、好きなことをしながら生きていきたいと誰もが考えることだと思いますが、それが実現可能な唯一の方法として、「海外投資」「資産運用」で資産を作ることだと言います。
NISAやiDeCoでインデックス投資を簡単に始められるこの時代は、さまざまなリスクを背負わずに投資ができるため個人が幸福な人生を送るための準備がされていると思います。
まだ、NISAやiDeCoでインデックス投資を始めていない方は、橘玲氏の著書の本で橘玲氏の人生や、考え方、投資術を学び、人生に大きな選択肢を与えることおおすすめします。
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